パリで活躍する素敵な方々にインタビューし、それぞれの「モンパリ」をお聞きします。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
音楽の都・パリのピアニスト 
その2 ”La vie (人生) ”シャンソン・フランセーズ 2007.08

 ジャン・ルイ・ベイドン氏は、パリ近郊ヴァンヴ市のコンセルバトワールの校長先生です。一方、アラン・ルプレストを始め、多くのシャンソン歌手の伴奏も手がけ、国内外で活躍する毎日です。《モンパリ》の音楽情報でおなじみのシャンソン歌手石原歩さんの伴奏者として、昨夏も日本へ演奏旅行。今は(昨年10月からロングラン)、エディット・ピアフの歌をコメディ・ミュージカル仕立てにした《L‘EMPIAFEE》に、クリステル・ショレーのピアノ伴奏者として出演中です。忙しい氏の、学校と舞台の合間を縫って、その音楽人生について伺いました。

ジャン・ルイ・ ベイドンさん
 5歳からピアノを始め、7歳の時には、既に、将来はピアニストか指揮者になりたいと願っていた。国立の音楽学校で、音楽理論、作曲、サキソフォンを学び、多くの賞を受賞。その後、18歳でヴァンヴ市のコンセルバトワール(音楽学校)に教師として入り、指導者の道を進む。
 また若い頃からシャンソン・フランセーズや芝居の世界に興味を持ち、現代の『きらめく才能の詩人』と言われるアラン・ルプレストのピアノ伴奏を10年間担当した。また、ベルナール・ジョワイエ、アンリ・コルソー、ピエール・バルー等多くの歌手の伴奏をし、フランス内外で年間100件以上のコンサートをこなす。アヴィニオン、ブールジュ、フランコフォリなどの音楽祭やテレビ・ラジオの出演も多い。
 現在は、ヴァンブ市コンセルバトワール校長

 ■ Interview
11、 ところで、音楽の中には、ロックやジャズ、レゲエ、クラシックなど沢山のジャンルがありますが、どうして、シャンソン・フランセーズを選んだのですか?
  それはとても簡単です。10−11歳のころ、私のピアノの先生は、私にクラシック以外の他のものを演奏させてくれませんでした。だから、「サリュ、レ・コパン(こんにちは、友よ!)」(1960年代にフランスで大流行したヒット・パレードのラジオ番組)のようなラジオやTVの番組で聴いていた流行歌を独学で弾くようになりました。それから、即興を始めました。ピアノでラグタイムを弾きました。家では、エディット・ピアフやジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル、コレット・ルナールなどを聴いていました。これらのスタイルのシャンソンに感動していました。いつも、「サリュ、レ・コパン」を聴きながら、ジョニー・アリディやリシャール・アントニー、ミシェル・ポルナレフ等を知りました。そして、徐々にブレルやビートルズに傾倒していき・・・・・。それから、ダンスパーティのバンドの一員として演奏するようになり、そこで、ロックやタンゴ、サンバ、ワルツ、チャ・チャ・チャなどを学びました。それは、あらゆるスタイルの音楽を学ぶには、とても素晴らしい学校ですよ。
クラシック音楽は、技法や文化を獲得する上で、私を相当助けてくれました。シャンソンは、私に、即興とか作曲とか創造、想像といった、ありとあらゆるスタイルを混ぜ合わせることを可能にしてくれました。ベトナムの有名な歌手バキエンや、アラン・ルプレスト、アンリ・コルソー、ベルナール・ジョワイエのような偉大な作詞家・作曲家など、様々な種類の歌手の伴奏をしましたし、コラ・ボケールやクロード・ヌガロ、またはエンゾ・エンゾの伴奏をする機会にも恵まれました。今は、クリステル・ショレーと一緒に、《L'empiafee》で演奏していますが、そのスペクタクルでは、多くの違ったリズムを使うことによって、エディット・ピアフの曲を再発見することができます。

12、 あなたにとって、特別な歌手はいますか 。
 疑いなく、ジャック・ブレルです。
25歳の時に、ジャック・ブレルの曲を歌う一人の女性歌手の伴奏を始めました。そして、ジャック・グリオの伴奏を13年間。私たちはブレルの歌をたくさんの国で、演奏しましたが、それは特別な素晴らしい公演でした。

13、 ブレルのどんな点が心を打つのですか ?
  歌詞、そして曲、特に、フランソワ・ローベがしたようなアレンジ。その上ブレルは「けたはずれの大役者」。息遣いや、手の表情、視線でも演技する彼を見れる本物のスペクタクルでした。彼は観客に対して、とても気前がいいのですよ。現在の歌手で言えば、私が10年以上伴奏していたアラン・ルプレストの中にも同じような感動を見つけることができます。(注:アラン・ルプレストは、サラヴァ・レーベルから、日本人に向けても録音しています。サラヴァ・レーベルは、「ビシクレット」や「男と女」の作曲をした有名歌手、ピエール・バルーが経営)

14、 ミュージシャンになっていなかったら、何になっていたでしょう?
  多分、料理人か、子供達の世話をする休暇センターの指導者・・・・あるいは、恐らく、カイロプラクティックか運動療法士・・・・なぜなら、マッサージが好きだから!(笑)でも、6歳の時に既にミュージシャンになるって決めてしまっていたし・・・・。

15、 あなたにとって、音楽とは何ですか ?  
私の人生の大部分です。勿論、少しハンディキャップも感じています。私の人生の一方では、時として子供たちや伴侶、友人達に対して難しい。音楽は極めて多くの時間を費やしますから。

16、 それほどまでに音楽が大切なのは ?

秋田にて、日本文化に触れる。
楽しんでいるのですよ。演奏するのが大好きです。音楽・・・・それはテクニックよりもずっと、情熱ですね。どんなタイプの音楽であっても、美しいニュアンスを表現したり、美しい音色を見つけることが私は好きです。

17、 もし、フランス語をひとつ選ばなければならないとしたら、どの言葉を選びますか ?
”La vie (人生) ” です。 それは、全てを包括しているからです。家族、愛、友情、芸術、美食、自然、仕事、死、困難・・・ 。

18、 日本人の読者に対して、何か一言、お願いします。
 
もう既に言っていることですが、早く、日本へ、演奏でも、単に観光でも、あの美しい国へ戻りたいです! 日本人は、外国文化、特に西洋文化に対してとても開かれていて、多くの人が、パリやローマやロンドンへ来ています。でも、ヨーロッパの人は、日本発見ということにはやや閉鎖的です。思うに、日本人は、まだ充分観光を開発していないのではないでしょうか? 歴史や文化、日本の独自性とか素晴らしい料理など、とても豊かなこの素敵な国に、世界中の人が訪れることを願っています。

  いろいろな質問に終始にこやかに丁寧に答えるベイドン氏の言葉の中に、音楽に対する「情熱」を感じました。「パリに来てから多くのコンサートに行きましたが、中でもジャンルイ・ベイドン氏が伴奏するリサイタルに感動しました。歌手の力も勿論ですが、ピアニストの力の重要さを思い知らされました。」と石原歩さんも言っています。好きな言葉は「 La vie 」だと言った氏のピアノには、まさに、人生のあらゆる要素が詰まっているようです。


シャンソン歌手 石原歩さんの岐阜でのコンサート後
、スタッフとの楽しい時間。

その1、2足のわらじで日本にも上陸
【back number】 vol.1 パリは私を放っておいてくれる街 平沢淑子さん
  vol.2 パリのエネルギー源は人間関係 芳野まいさん
  vol.3 エール・フランスパイロット 松下涼太さんに訊く
  番外編 ワイン評論家 “ジャン・マルク・カラン“に訊く
  vol.4 全てが絵になるパリの景色の中で 寺田朋子さん
  vol.5 マダム・ボ−シェに聞く
  vol.6 日仏交流の最前線で
  vol.7 パリで育ち、世界に羽ばたく 山田晃子さん
 

vol.8 光に魅せられて 石井リーサ明理さん

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