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| オリガス先生を偲ぶ (2)
オリガス先生パリ訃報 (金子美都子) 私はその四、五日前に、一ヶ月前から休講されていたオリガス先生のご自宅に恐る恐るお電話させていただいていた。まず、いつもの変わらないお優しさをたたえたお声の奥様とご容態について短くお話しし、お疲れであるなら、お伝えだけでと申しあげたのだったが、やがてオリガス先生の荘重で静かな美しい日本語が耳に届いてきた。 私が『獺祭書屋俳話』のなかの一句の前途と「新題目」の断章を取り上げる旨をお伝えすると、先生は「それはいいでしょう。訳す必要はないので、ポイントを決めてその部分を膨らませ、背景にも触れるように。資料などをお送りくだされば、それを読むのはとても楽しみですから」とおっしゃられてから、ご自分のこれまでのご容態、病院通いのご様子などを諄々 とお話しくださった。そして何回か「自分は急にとても弱くなってしまって、力が出ないのです」とおっしゃられたのが印象に残った。二十分もお話ししただろうか、電話を終えた。私はこんなに長い間電話口にお出になれたことを心配し、申し訳ない気持ちで一杯だった。すると終えたはずの電話がまた鳴った。オリガス先生だった。「その、子規の最初の発表の年月日を資料に必ず明記して下さいね」と付け加えられた。いつもの生徒思いのお言葉である。 マルケ先生に私はオリガス先生のこんなご様子を手短にお話しした。マルケ先生は、実は昨晩奥様にお電話をなさった際、先生が二日ほど前に突然倒れ入院されたが、もうだいぶ良くなられ、じきに退院できるだろうと奥様から聞かれたのだ。先生のご様子はもちろん、私がゼミの相談ができていたかをご心配くださったのであった。 その晩、夜中の十一時をだいぶ回ってから、いつものようにメールを開けた私に、思いもかけない文字が目に飛び込んだ。「私たちの恩師ジャン=ジャック・オリガス先生」「訃報」。 ―略― あたかも深夜に鳴りわたる銅鐘のようだった。こうして先生のご逝去は、なんの確たる前触れもないまま、現実のものとなってしまった。信じられなかった。驚きと悲しみで一杯であった。 私は一九七三年、仏政府留学生としてパリ第二大学比較文学科の博士課程在学中、一年目の小論文の口頭試験の際、エチアンブル先生のお隣にいらした若き日のオリガス教授に初めてお会いした。それから何年が過ぎたことだろう。とくにここ十年余りは、渡仏のたびに多忙な先生のお時間をおさきいただき、二十世紀日仏詩の受容・交差についてご教示を賜っていた。また奥様とも親しくさせていただいた。―略― 今回の研修年では、パリ到着早々の昨十月の初めに、INALCO(国立東洋言語文化研究所)本校のあるrue de Lilleでお会いすることができた。その際先生は、ぜひ自分の授業に来るようにと言われ、丁寧な細かな字で、時間割と内容を書いてくださった。また博士論文向けのゼミで、『獺祭書屋俳話』について発表するようにとおっしゃられたのである。 先生の講義を拝見するのは実はほとんど初めてであった。十六区にあるDauphine校での火曜日午前の『日本文学史』の大教室には、必ず早くおいでになる先生を、百人を優に超す入りきれないほどの学生がさらに早くから待ち受けていた。論吉 兆民、逍遥、四迷、「鷗外」というふうに、一回の講義で大体一人の作家をすすめ、先生は例えば「英知の奇跡」「疑いの時」「近い過去の記念」といったエスプリの利いたタイトルを黒板に順にお書きになりながら、日本文学への深い愛とともに熱のこもった口調で、大人数の学生の興味と関心を惹きつけてやまなかった。ひとつの語が次々に膨らみ、含意、背景、歴史、文化への大きな示唆に変貌する。これほど多くの若いフランス人学生が、これほど食い入るような眼差しで、私自身の国の文学を学んでいるのが何か信じがたい光景のように思え、先生には魅力とともに不思議な魔力がおありなのかとさえ思えた。教室の様子をいつかカメラに撮影してもいいかとお尋ねすると、先生は「こっそりとね」と微笑なさった。 木曜午後の博士DEA学生対象の鴎外 『舞姫』の授業の小さな教室にも学生があふれた。一語一語丁寧な、深い意味の解きほぐし、構成上の時間的、空間的分析、さすがは文体研究の第一人者の読み解きで、『舞姫』の舞台は色を帯び、空気が漂う。選び抜かれたフランス語での周到なエクスプリカシオン・ド・テクストをお聞きすれば、オリガス先生はやはり紛れもないフランス人かつノルマリアンであられた。この講義には、早稲田大学国文の中村國彦教授も参加されていた。オリガス先生は、好んで日本人専門家や私ども研究者にご自身のお授業を公開なさり、学生ともども交流を持つことを好まれたのだ。そして授業後も、フランス人のみならず日本人を含む多くの修士や博士の学生が先生の懇切な指導を待っていた。 また、学生たちの現代日本語への目配りも忘れてはならない。ノーベル賞の田中耕一さんの記事について、『朝日』『日経』『毎日』三紙をさらに『ル・モンド』との、文体や視点・論点の相違をあきらかにしていくお授業は、私にはまさに目から鱗であった。 ユーモアもたっぷりだった。同時に日本人である私の意見をつねにお聞きになる先生の謙虚なお気持ちには、本当に頭の下がる思いであった。次回から読まれるはずだった大江健三郎の「なぜ子供は学校に行かねばならないのか―(『「自分の木」の下』で」)のプリントがむなしく手元に残されている。 昨年十二月まで、こんな魅力あふれたエネルギッシュなご講義を続けられていたオリガス先生のご葬儀は、翌一月三十一日、祈りとともに、親交の深かった方々の感銘深い弔辞と多くの学生・卒業生に見送られて、ご自宅の近くの Quincy-sous-Sénartの教会で行われた。お棺は地深く埋葬され、感謝の念とともに私が手向けた白い一輪の花がその上に舞い下りていった。 二月二十日午後二時半から、大教室アンフィテアートル八番で催された「追悼の会」にもたくさんの学生が集まった。フランソワ・マセ教授が司会され、エマニュエル・ロズラン教授はじめ多くの方の追悼のお言葉があり、奥様も初めてご覧になったというオリガス先生のユネスコ講演など在りし日のお姿がスクリーンいっぱいに映された。心のこもった会であった。 そして、翌週二月二十六日はオリガス先生、マルケ先生共同でご担当の、前述の DEA 取得後の学生の博士課程ゼミ「明治期および二十世紀前半近代日本における意識の変化」 Textes de l’ère de Meiji et de la première moitié du XXe siècle. Les mutations de la conscience dans le Japon moderne が予定されていた。このゼミは毎月一回、木曜日午後四時より三時間続けて行われていたが、奇しくも今回が追悼ゼミとなってしまった。いつもの参加者に加えてロズラン先生はじめ教授方も参加され、マルケ先生が急遽まとめられたオリガス先生の論文・講演集(Autour de Masaoka Shiki)(正岡子規をめぐって)を皆に配布してくださった。「写生の味」などの論文はもちろんのこと、大岡信、十川信介らの近代随筆をめぐる座談会、二〇〇〇年愛媛で芳賀徹氏らとパネリストとして参加された「国際俳句シンポジウム」、川本皓嗣氏らとの「松山宣言」や、和文だけでなく、子規随筆のリズムをテーマとしたストラスブール仏文講演など、すべて貴重な記事の詰まった一冊を目の当たりに、一同オリガス先生を悼み、同時にこの多用中にさっそくまとめられたマルケ先生のご配慮に感謝する思いであった。 これまでこのゼミでは前半は、たとえば東海散士といった明治期の思想家を各人が取り上げた。一月には、オリガス先生ご不在のまま早稲田大学の中村教授が三代目早大総長・高田半峰の「当世書生気質の批評」をテクストに発表された。そして後半は詩ということで、今回は私が話すことになった。周知のように『獺祭書屋俳話』は明治二十六年に刊本となる以前、二十五年六月から新聞『日本』に連載され、「俳句の前途」「新題目」はその十三、十四回で、執筆当時からの連続した記事である。西欧の論理性を志向した当時の子規が、「俳句の前途」の中で「数理」を重んじ、まずたどり着いたのは、危機意識である。 ――略―― 知っていることと知らないことを徹底的に見極めて常に零度に戻していく『獺祭書屋』などから、日本美術や西洋の影響を受けて、子規が「写生」へと辿り着くまでの俳句革新の軌跡を考える良い機会を与えてくださったオリガス先生、そしてコメントや質問とともにお聞きくださった方々に心から感謝申し上げる。今回の準備で「印象明瞭」な句も、「余韻」もまたよいという子規の言は特に私の心に残った。あの十月の日に、大切にされていた子規という題をいただいたとき、それが先生の追悼ゼミになろうとは誰が思っただろう。先生の辛口のご批評がお聞きしたかった。 今夏パリは記録的な猛暑であった。そんな暑さも峠を越えた八月の末、私は先生のパリ南東郊外のお宅に奥様をお訪ねし、ご一緒にお墓参りをさせていただいた。 奥様は猛暑のなか毎日墓参され、一時体調を崩されていた。花を携え、墓前に改めて感謝と哀悼を捧げ、「ボルドーの思い出に」の碑銘に、こよなく愛されたご子息とお孫さまを思った。閑静なお宅で、おいしいお茶とお菓子をいただき、エピソードをしみじみ伺いながら、日本の言葉と文学に一生没入され、日本の文化の真髄を多くのフランスの人々に伝えてくださった先生をお偲びする晩夏の午後であった。夕方すでに外気がひんやりとする頃、駅のホームまでお見送りくださり、列車を待ちながら私の手を温めてくださった奥様の暖かなお心が胸にしみた。きっと先生が天国から、永年異郷で先生を支えていらっしゃった最愛の奥様を見守っていらっしゃることだろう。 |
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