パリ大好き人間の独り言、きたはらちづこがこの街への想いを語ります。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
第24回  パリと泥棒   2005.03 エッセイ・リストbacknext
 「この前、アパートがカーヴ荒しにあってね。でも、うちだけ無傷よ。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・」と笑いながらN夫人がフランスならではのぶどう酒泥棒‘未’体験談を披露してくれた。高級住宅地ではカーヴ(地下の物置。ぶどう酒を貯蔵する場合が多い)専門の泥棒が時々出現する。有名な年代物のぶどう酒は宝石と同じように価値があるから、盗み甲斐もあるというもの。カーヴに所蔵するぶどう酒に保険をかけている、という話も聞く。まあ、怖い目に遭わないのであれば、このような泥棒サンのことは、話のネタとして充分に面白い。

  そして、いつの時代にも決して減らないのは観光客相手の置き引きやスリ。せめて、手口が荒っぽくないことを願うばかりだが、実情を知れば知るほど、パリという街の持つ不思議さに、複雑な思いである。
 地下鉄がスリにとって一番の「仕事場」だということは、パリ人なら誰もが知っている。そして、気をつける。間違っても眠っている人などいない。地下鉄に乗るときは宝石を身につけないというマダムがいる。できるならバスで移動するというお年よりも多い。外国に居住するということは、すなわち、こういった緊張感を常に持ちつづけることなんだ・・・などと、たまに日本に帰ると、繁華街の雑踏の弛緩(失礼!)した顔を見渡しながら、私は半ば呆れ、半ばほっとする。そしてまたパリで生活すれば、公共の場所ではかなりの緊張感を意識的に持つ。

 友人のK子と私は、その日、久し振りにおしゃべりに興じ、それぞれ家路につくために、メトロの乗り換え通路からホームに入ったところだった。K子が「キャッ」と声をあげたから、私もびっくりして彼女の顔を覗き込んだ。こわばった表情の彼女は「誰かが・・・」と言ったきり、言葉が出ない。後ろを振り向くと、そこには身長130cmくらいの、若草色のセーターを着た女の子がにこにこして立っていた。まるで、用事があるから声をかけたのよ・・・というような表情で、悪びれもせず。「落し物ですよ」とでも言わんばかりの女の子の態度を見て、私はK子が何か勘違いをしたのだ、とさえ思った。
 少女とK子と私はそれぞれしばし顔を見合わせた。ひきつったK子。ちょっと首をかしげるようなしぐさをしながらも相変わらず微笑む少女。きょとんとする私。
 それからまた歩き始めて、「どうしたの?」と問いかける私に、K子は「あの子・・・バッグ・・・」とさらに緊張した声で、単語をぽつりぽつりと発した。そこで始めて、私は彼女がスリにやられそうになったのを知った。ほんの数秒の出来事だった。

 「よく調べて。何もとられていない?」ホームを少し進みながら尋ねる私に、K子は少し気を取り直して、「留め金がはずれてるわ。でも、大丈夫。小銭入れも、カード入れもある」と言いながら、歩いて来た方を振り向いた。「やっぱりあの子よ。ほら、もういなくなってる」
 パリのメトロは、人の流れを計算して作られているから、ほとんどの駅でホームへ入り込む通路は一方通行になっている。だから、そこを歩いている人々は普通はメトロに乗るためであり、誰もがホームで、やって来る電車を待つことになるのだ。だけど、先ほどまで私たちの後ろにくっついていた若草色の少女の姿は、もうそこにはなかった。

 実際にやられれば気持ちのよいものではないが、このテのスリは日常茶飯事だ。メトロで活躍(!)する彼らの数を数えたら、きっと驚くべき数字がはじきだされるに違いない。1車両あたり・・・とか、乗客数あたり・・・とか統計をとったら、きっと日本の何倍、何十倍、いや、何百倍にもなるだろうな、と思う。主要駅の構内ではしょっちゅう「スリにご注意ください」というアナウンスが流れているし、観光客の多い、そして車両も広めで新しく、昇降口の大きな1号線では、たまに「今、この電車にスリのグループが乗車しました」という放送さえある。一度などは「2両目に」(なんと私は2両目に乗っていた!)という具体的な放送だったため、それとなく周りを見回すと、一つ向こうのドアのところに15-6歳の少年少女5−6名のグループがワイワイ乗ってきていた。もちろん、彼らはすぐに移動して、次の駅で、降りた。午後3時頃のこと。「そうだ!!パリの中高生が、ヴァカンスでもないこの時期、この時間に地下鉄になど乗っているはずがない」


美しいシャンゼリゼ大通り。ここもスリにとっては稼ぎどころ!?
  その時から、私は「一号線の彼ら」を判別できるようになった。 「彼ら」は以前駐在していた頃には、シャンゼリゼやオペラ座の周辺で、通る人々に手を差し伸べては、物乞いをしたり、数人で寄ってきてはスリ行為をしていた、ジプシーの若い女たちの腕に抱かれていた赤ちゃん達だ(と思う)。あれから、彼らがどんな育ち方をしたのか、別に見ていたわけではないけれど、すくすくと「成長」したらしい。そして、以前とはちょっと違う形の「仕事師」となった。今では、あきらかにジプシーとわかるような服装などしていないから、多分、平和の国ニッポンから来る人々には、「どこの国にもいる中高生たち」というようにしか見えない。だけど、彼らには国籍も祖国もないのかもしれない。おそらく、学校にも満足に行かなかった・・・
 誰の子に生まれるか、人はそれを自分では選べないのだ。今更ながら、そんな当たり前のことが脳裏をよぎる。くったくのない彼らが余計に悲しい。
 そして、ちょっぴり現実的になって、私はまたハンドバッグを抱え直す。
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