朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ロマ人強制送還 2010.10エッセイ・リストbacknext

EU委員会のレディング女史

 この夏、フランス政府が国内の1000人以上のロマ人を集団的に摘発して、出身国のルーマニアなどに送り返した、このニュースをご記憶の読者は多かろう。事件の後日談として、日本の各紙が、欧州連合Union européenneの欧州委員会Commission européenneが「EU市民に域内の自由移動を保障するEU法に仏法が準拠していない」として「(9月)29日侵害調査手続きを開始した」と報じた。日頃から人種差別discrimination racialeに敏感なフランスがこの成り行きを見過ごすはずがない。気になったので、インターネットでフランス紙のサイトを見渡したら、論調が微妙にちがうようだ。どう違うのか。
 代表的なのは同日付のLe Monde紙で、Roms:la France se félicite de ne pas avoir été accusée de discrimination「ロマ人[問題]:フランス[政府]は人種差別という告発を免れて喜んでいる」という見出しでこんな記事をのせている。
 Le gouvernement français a pris note de la procédure d'infraction à son encontre pour non-respect des règles européennes dans sa politique d'expulsion des Roms, mais a préféré se féliciter de ne pas avoir été mis en cause pour discrimination. Le Quai d'Orsay s'est réjoui que « la Commission ait pris note des assuranses apportées par la France sur le fait que les mesures prises n'ont pas eu comme objectif ou comme effet de viser une 'minorité' spécifique, et que les autorités françaises assurent une application non discriminatoire du droit de l'Union européenne. »
 「フランス政府はロマ人追放政策におけるEU法規不遵守を事由とした自国に対する侵害調査手続きの通達を受けはしたが、それより人種差別を問題にされなかったことを喜ぶ方を選んだ。外務省は『フランス政府の措置は特定<少数民族>のねらい打ちを目的もしくは結果としたものではなかったこと、フランス当局はEU法の人種差別的でない適用を保証すること、これらの点についてフランスが与えた確約を欧州委員会が受け入れた』ことを喜んでいる」
 これを見るかぎり、欧州委員会の調査対象になったことは間違いなく、その意味では日本の報道は事実をつたえている。しかし、フランス紙で違うのは、ロマ人追放は人種差別にあたるという裁定を欧州委員会が下さなかったという点を強調していることだ。人権尊重を建前とするフランス政府としては譲れない一線であり、委員会によほど強く働きかけたのだろう。他方、ロマ人になじみの薄い日本のジャーナリストがフランスの窮状を理解するのは容易でない。というのも、問題の根は深く、ヨーロッパの過去の歴史に分け入らねば正体が見えてこないからだ。しかも今回は、ただでさえ不況にあえぐEU構成メンバーの国内事情がからみ、それに域内の力関係が影響してくるからよけいに厄介である。
 そもそも司法・基本権・市民権担当委員のMme Viviane Reding女史(Luxembourg選出)は強硬で、これはロマ人を差別する行為であり、ナチスのユダヤ人国外追放les déportations de Juifsにならぶ暴挙だとしてフランスを正面から告発する態度を早くから明らかにしていたようだ。ところが、悪名高いナチスになぞらえられたフランスのNicolas Sarkozy 大統領が激怒した。そこで欧州委員会委員長のM.José Manuel Barroso氏(Portugal選出)が間にはいって、ひとまず鎮静化をはかったというのが真相らしい。むろん、これでケリがついたわけではない。フランスは送還の裏に人種差別の意図はないとする証拠を示さなければならないし、今後も居残るロマ人とどうつきあっていくかという難題は未解決のままである。
  ところで問題のロム人だが、l'Union romani internationale「国際ロマ同盟」と国連が採用した呼び名である。フランスでは古来Gitans, Tsiganes(Tziganes), Manouches, Romanichels, Bohémiens, Sintisなどの名で呼ばれ、日本では「ジプシー」だった。Wikipédiaによると、世界での総人口は2000年現在の数字で600万から2000万。フランスでよく見かけると思ったが、50万から130万。もっと大勢いそうなスペインに60万から150万。問題のルーマニアはさすがに多くて、535,250から250万にのぼる。インド起源とされるから、居住圏のなかに東欧諸国やトルコの名が出てくるのは当然だが、現在ではブラジルやカナダにまで広がっているというからおどろく。
 昔から流浪の民nomadesとして知られ、私自身、パリの街頭で子ども2名に襲われて財布を奪われかけた時には、犯人の親たちは大型のトレーラー自動車で郊外に移動してきたばかりと聞いたものだ。そのためか、フランスの行政用語にはgens du voyageというのがある。ただし時は急速に移っていく。Wikipédiaはわざわざ注をつけて、「21世紀のロマ人にはもはやあてはまらない。大半は定住者sédentaireだし、逆にgens du voyageの大部分はロマ人ではない」としている。

「カルメン」(folio版)の表紙



 それからすればだいぶんずれることになるが、「ジプシー」の話のついでにProsper Mériméeの小説Carmenにふれておこう。あの奔放な女性がロマ人であることはいうまでもない。ただし、Georges Bizetのオペラとともに名高い物語そのものは、4章からなるこの小説の第3章だけにすぎず、第4章はもっぱらロマ人という人種の紹介にあてられていることは顧みられぬことが多い。詳細は次回にゆずるとして、彼らの肉体的特徴にふれた部分を以下に引く。
 Les caractères physiques des Bohémiens sont plus faciles à distinguer qu'à décrire, et lorsqu'on en a vu un seul, on reconnaîtrait entre mille un individu de cette race. La physionomie, l'expression, voilà surtout ce qui les sépare des peuples qui habitent le même pays.
 「ジプシーたちの肉体的な特徴は、書いたりするよりは、実物を見るほうがわかりがよい、 一人を一度見てさえおいたら、千人の人なかに混じっていてもこの種族は見分けがつく。容貌と表情、この二つが特に彼らを彼らが住んでいる国の住民と区別する。」(堀口大学訳)
 メリメがdiscriminationを目的としてこれを綴った、などというつもりはない。しかし、この記述ははからずも、社会にロマ人に対する差別意識が醸成され、やがて差別行動に発展していくプロセスの説明になっているのではないだろうか。
 
筆者プロフィールbacknext

【NET NIHON S.A.R.L.】
Copyright (c)NET NIHON.All Rights Reserved
info@mon-paris.info