朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
高市人気(承前) 2026.2エッセイ・リストback|next

高市早苗首相 ※画像をクリックで拡大
 日本の総選挙の結果は、さっそくフランスでも報じられた。フィガロ紙(2月9日付)の記事Japon:la première ministre, Sanae Takaichi, redonne des couleurs aux conservateurs「日本:女性首相高市早苗、保守派の生気を蘇らせる」は、世界中で勢いを増している右傾化の流れに日本も巻き込まれたことを報じているには違いない。ただ日本の場合、それが高市個人の人気に負っている点に関心を寄せている。なぜそれほど人気が高いのか?この問いに日本のマスコミは選挙前に答えを出せなかった。このフィガロ記事はどうだろう?
 興味を覚えたのは、記事がQuelle Sanae Takaichi les urnes ont-elles enfanté au Japon?「投票箱(選挙民)はどの高市早苗を日本の国に産み落としたのか」という疑問文ではじめていることだ。 むろん、第一の眼目は、彼女が多様な顔、とりわけ新鮮で、大衆受けする顔の持ち主であるとの指摘だろう。
 ....le PLD, qui a quasiment été continuellement au pouvoir, sait accueillir en son sein des figures iconoclastes le reliant aux gens ordinaires. ... Elle représente la frange tapageuse du nationalisme nippon, dissoute dans la culture populaire - mangas, rock, dessin animé…
 「ほとんど連続的に与党の座にある自民党は、党内に、一般の人たちと党とを繋ぐ伝統破壊的大物たちを迎え入れる術を心得ている。 (中略)彼女が代表しているのは、日本のナショナリストのなかでも騒々しい周辺連中、マンガ・ロック・アニメ…のような大衆文化の中に溶け込んでいる層なのである」
 あまたの世襲議員をさしおいて、自力で最初の女性首相の地位にまでのしあがった高市早苗は « rêve japonais » d’ascension sociale 「社会的昇進の<ジャパニーズ・ドリーム>の実現者」だと、 記事は書く。あいにく、私の周辺でそこまで彼女をうらやましがる人はいないようだが、それはさておき、記者は、他方で、次の点も見逃していない。
 Sanae Takaichi réserve une partie de sa journée à un mari souffrant - ce détail toucheune société rongée par l’âge et l’isolement.
 「高市早苗は日課の一部を病気の夫の介護にあてている。何でもないような些事だが、高齢と独居に蝕まれている日本社会を感動させることにはなる」
 要するに、彼女の面目をあれこれ要領よく紹介するのだが、記事の狙いはそれにとどまるのだろうか?多面性のかげに潜む何かを問題にしたいのではないだろうか?さしあたり、夫婦別姓制度についての彼女の対応を綴った部分をとりあげたい。ここにきて、記者は妙に踏み込んでいるのだ。
 « Quand sa concurrente dans le genre, Tomomi Inada a approuvé le maintien du nom de jeune fille au moment du mariage, elle a été écartée au profit de Sanae Takaichi, qui était contre », se souvient un lobbyste. Aujourd’hui, elle poursuit sa carrière sous son nom de jeune fille, qu’elle interdit pourtant aux Japonaises de conserver à l’état civil.
 Mais qu’importent les contardictions.

「サチュロスと旅人」(Oudryの挿絵) ※画像をクリックで拡大
 [<同性の競争相手、稲田朋美は、結婚前の姓を名乗ることができる選択的夫婦別姓制度に賛成でしたが、反対する高市早苗に負けてしまいました>と、述懐するのはあるロビイストである。現在、高市早苗は旧姓で通している。それでいて、日本女性に対し戸籍で旧姓を名乗ることを禁じる案を出している。しかし、矛盾撞着したって構うものか」
 この最後の一文が気にかかる。一般人ならともかく政治家にかかわる事柄だけに、「矛盾撞着したって構わぬ」といっていて許されるのか?。ここには一つの重大な問題が提起されているのではないか?
 そこで、思い起こすのはLa Fontaineの寓話 Le Satyre et le Passant 「サチュロスと旅人」のこと。紙面の関係で、テクストの引用は控えて、概要説明だけにとどめる。
 サチュロスはギリシア神話に出てくる半獣半人、ローマ神話のファウヌスと同じく、山や森を支配するとされている。その一家が洞窟で夕食中、旅人が一人、冬の冷たい雨に行き場を失って、避難してくる。招かれざる客なのに、サチュロスは暖かく迎え入れ、自分たちと同じスープを勧める。旅人は凍えた手を温めようと息を吹きかける。やおらスープを飲もうとしたが熱いので、スープに息を吹きかける。すると、サチュロスは怒って、彼を追い出す。理由は最後の2行に述べられている。

 Arrière ceux dont la bouche     行っちまいな 同じ口で
 Souffle le chaud et le froid.      熱と冷気を吹くような奴らは

 この文句をどう読んだらいいのか?そもそも、寓話の教訓はどこにあるのか?なぜこれを私が引き合いにだしたのか?その答えは次回にゆずることにしよう。

追記  200回を超える既往のコラムの一部を選んで、紙媒体の冊子を作りました。題して「ア・プロポ――ふらんす語教師のクロニクル」。Amazon, 楽天ブックス三省堂書店(WEB)などオンラインショップで販売中です。
 
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